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 白梅学園大学
 白梅学園短期大学 学長
汐見稔幸氏 
MR. TOSHIYUKI SHIOMI


子どもを理解するには一緒に遊ぶこと
求められるおもちゃのヒントもここに


――子どもが本気で遊べない時代の中でその改善策は?

 私はやはり親が子どもの遊びの監視役になってしまっているところに限界があると思っています。男の子がダイナミックに遊ぼうと思っても、親は男の子の遊びが理解できないからブレーキ役になってしまう。こうした現象をどのように克服していくのか。

 そのヒントは北海道の釧路にある社会教育施設の「遊学館」にあります。この施設に入ると驚くのが1階フロアの面積の半分(約137u)が砂場になっています。そして実はこの砂場は親が遊ぶためのものなのです。そこで親たちは砂を使って何メートルもある像を造ったりして遊ぶ。私は子どもが遊んでいるところを親が外から見ているだけではダメだと思っています。見ているだけだから子どもが何をしているのか、何がそんなに面白いのかが分からない。親も子どもと同じことをして遊べば、こんなに楽しかったんだ、と分かるし、その充実感が自ら体験できます。

 こういった例は他にもあって、札幌郊外の山の中にある幼稚園なのですが、ここに親御さんが車で子どもを連れてくると、この幼稚園では親御さんも帰らないでそのまま1日遊んでいくのです。花壇の世話をしてるお母さんもいれば、樹に大きなブランコを作ってるお母さんも、ターザン小屋を作っているお母さんもいる。

 またその幼稚園では9月に流しそうめんをするイベントがあるのですが、百何十人という園児と親御さんが参加するので、そうめんもすぐになくなってしまいます。下流にいる子ども達が「もうないの〜?」と上流に呼びかけると、上流のお母さん方が「ちょっと待っていてー」と言った後、びしょ濡れになるのも構わず自分がそうめんになって流れるのです。その後を今度は子ども達も一緒に流れる。その幼稚園の園長先生は、子どもと一緒にアホみたいにびしょ濡れになって流しそうめんになることができたお母さんは本当に変わりますよ、と言っていました。見事に子どもに優しく接するようになるのだそうです。

 教育熱心な親御さんは往々にして自ら本気になって遊んだ経験があまりありません。ただ、こういったことをして、こういった効能のある玩具を与えれば子どもはしっかりと育つという観念だけがある。そうではなくて、自分も子どもに戻って一緒に遊んで、体でその楽しさを知れば、子どもの心が分かるし、遊びのブレーキ役にならずに済みます。

 玩具のヒントもそこにあるのではないでしょうか。子どもを遊ばせるのではなく、子どもは子どものレベルで、親は親のレベルで一緒に楽しめるおもちゃ、子どもと一緒に親御さんも遊ぶことができることをコンセプトにしたおもちゃが、現在求められているのではないかと思います。

――こうした取り組みは、親と子のコミュニケーションといった面でも重要かも知れませんね。

 親子のコミュニケーションは昔は日常生活の中で培われてきたはずです。料理をする際にも豆の皮を剥いて頂戴とか、子どもには子どもの仕事があったはずです。子どもに仕事があるということは、もちろん包丁をうまく使う技術が身に付くといった側面もあるのですが、自分も家族の一員としてなにがしかの役に立っているという感覚を身につけていくのです。

 やはり人間の尊厳や自尊感情の根底には自分は誰かの役に立っている、という手応えが必要です。さらに一緒の仕事を共有することは同じ文化を共有していることになりますので、そこには仕事の後の達成感や会話などの自然なコミュニケーションが生まれます。

――親子関係もそれだけ難しくなっているのですから、当然友達関係も昔のようにはいきませんね。

 子どもはどうしても親から評価される対象です。いくら反発をしていても親からの評価は気になるものです。いつも評価されている立場ですから、外に出ても自分がどのように評価されているのか常に気にしています。友達関係にもその評価の壁がありますから、掛け値無しの友達関係が作りにくくなっているのは確かです。常に友達を値踏みし、メールを送ってすぐに返事が返ってこないと心配になってしまう。すごく不自由な関係ですよね。

――子どものおもちゃ離れが早くなっているのですが、今のお母さん方は子どもが幼稚園のときはまだしも、小学校にあがると、いつまでおもちゃで遊んでいるの、と言いがちのようです。

 まったく逆だと思っています。小学生の仕事は毎日遊ぶことだと思っています。私は自分の息子にも、今のように友達と一緒に遊ぶことが難しい社会で、一緒に遊べる友達を見つけて面白く遊べるならば、それはお前の一生の財産になると言ってきました。

集団の中でしっかりと遊びきれれば
社会性を身に付ける第一歩


――ゲームやごっこ遊びなどは、社会でのルールや役割分担を身に付けるといった面でも重要ではないかと思うのですが。

 現在学校の現場で授業に集中できない、自分勝手な行動をする子どもが増え、学級崩壊といった問題も起きています。幼稚園や家庭でしっかりとしつけなかったからだとも言われていますが、私はそれは少し違うと思っています。

 例えば鬼ごっこなどの遊びは、ルールに従わないと遊べません。鬼が嫌だからやりたくないと言えばゲームにならない。ごっこ遊びなどはルールでさえも自分たちで作っていくものですから、一生懸命にルールを守ることを覚えます。木登りなどは少しでも油断したら自分が怪我をしますから、木の上にいる間中ずっと集中しないといけない。あの集中力は他では絶対に得られないものですし、それと比べたら授業に集中することぐらいはなんでもない。

 遊びは本当に人間の様々な面を育ててくれます。特に集団の中でしっかりと遊び切ることは、子どもが社会性を身に付けるための大きな一歩になります。

――人間は遊びによって成長し、成り立っているということですね。

 遊びこそが人間をより豊かにしてくれるのに、今の親御さんは遊びを本当に大切にしてくれません。遊びが良くないことだというニュアンスになっていることが問題だと思います。遊びは他の目的ではなくそれ自体を楽しむことです。勉強だってそれを楽しむのであれば、遊びと同じように楽しめますし、それこそが本当の勉強の在り方だと思います。

 豊かに遊べるということは豊かな人生を送れるということです。本当は子どもだけでなく、大人も一生懸命遊ばないといけないのです。  

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