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 白梅学園大学
 白梅学園短期大学 学長
汐見稔幸氏 
MR. TOSHIYUKI SHIOMI


便利さを求めた結果、子ども達が遊ぶ環境
育つ環境が貧しくなっている


――良いおもちゃと言った時に、最近のお母さん方は、積み木などに代表される知育玩具や教育玩具には非常に関心があるものの、例えばヒーローになりたいというごっこ遊びや敵と味方に別れて遊ぶようなおもちゃや遊びには知育玩具ほどの理解がないように感じるのですが。


 女性であるお母さんにとって、特に男の子の遊びの世界ほど理解できないものはありません。女の子のままごと遊びやお人形遊びは理解しても、自分がヒーローになって敵と戦う遊びになると、お母さんも何でこんなに乱暴に遊ぶのかしら、と思ってしまう。さらに ヒーローごっこだけでなく、男の子は色々なものを集めるのが好きですね。昔はセミの抜け殻ばかりを集めている男の子もいましたが、何でこんなにくだらないモノを集めるのか理解できない。

 地域社会全体が子どもの遊び場だった頃は、男の子のそうしたダイナミックだけれども、少しスリルのある乱暴な遊びも、くだらない物を収集する遊びも、母親の目の前ではやっていなかった。だからくだらない、危ない、よしなさいといった非難や注意を受けずに済んでいたのです。

 秘密基地を作ったり、木を削って弓矢を作ったりといった遊びをたくさんやっていたのですが、その頃だってそういったことをお母さんが直接見れば、危ないからやめなさい、ということになったかもしれないけれども、いつも子どもを監視しているような環境ではなかった。しかも年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんがいれば、ここまではできそうだけれども、これ以上はできないといったことも、ある程度は分かりますので、異年齢で学習もし合って遊んでいたという以前の環境が現在はほとんどなくなっています。

 だからこそ、特に男の子にとってはしっかりと遊ぶことが難しい時代で、スリルを味わいながら自分の可能性を精一杯試してみるだとか、そういった面では何をして遊んでいいのか分からない。外に遊びに行っても街には常に車が走り回っているし、道路は昔と違って舗装がされていて穴を掘ろうにも掘ることができない。クギ刺しもできない。そうなると家で遊ぶしかない。家の中で乱暴に遊ばれてはお母さんも困ってしまいますから「静かにしなさい」「やめなさい」と、男の子に対しては禁止事項が多くなってしまう。だから子どもは欲求不満になってしまって文句を言ったり反抗したりすると「男の子は扱いにくいわ」ということになってしまう。悪循環ですね。

――男の子の欲求とお母さんの心配をどうバランスを取っていくかですね?

 色々なところで子どもがうまく育たなくなった、子どもの運動能力が落ちているという状況が明らかになっています。例えば小学生の50メートル走もハンドボール投げも以前と比べてずっと記録が落ちて来ており、体格は大きくなっているのにこれらの記録は30年前のデータとさほど変わらなくなっています。つまりそれだけ潜在的に持っているはずの能力を開発しきれていない子ども達が多くなっているのです。それは身体だけではなくて、我慢する力や工夫する力などにもその心配が現れてしまっています。学力の低下も顕著です。

 子どもを育てていかなければならないお母さん方がどう育てていいのか分からなくなって、子どもを叩いてしまうなどの虐待に進んでしまったりするケースも急激に増えていっていることがデータにも出ています。だから子どもが育つ環境が貧しくなってしまっている。何故そうなってしまったのか。

 実は政治や経済を担っている人たちがそういったことに気が付かなかったからです。例えば家の前まで車が入ってくるという快適な生活を実現しようとすると、道路を舗装しないといけないし、太くしないといけない。便利かも知れませんが、その家の前で遊んでいた子ども達は遊ぶ場所を奪われることになる。人間は快適さを1つ手に入れることで、不便さや不自由さと対になっている必要なもの、重要なものを失うことを忘れているのです。遊ぶ場所を奪われた子ども達は家の中で遊ぶことになり、身体能力も落ちてしまった。

 子どもは原っぱが1つあればそこで様々な遊びをして身体面、精神面で大きく成長しました。しかしそうした原っぱも現在なくなりつつあります。その代わりに申し訳程度の遊具がある児童公園のようなものを作っていますが、児童公園は滑り台やブランコ、砂場などで行儀良く遊びなさい、と大人が子どもに指示をしているところですから、子どもにとっては面白くない。

 そこで子どもがせめてもと、スコップを持っていって穴を掘ったり、木に登って枝を切ったら、何をやっているんだ、と大人に怒られる。子どもが本気で遊ぼう、工夫して楽しもうと思った途端にそれはしてはいけない、と言われてしまうわけです。

 私が言いたいのは、そこで昔は良かった、昔に戻ろうということではないのです。子どもが遊ぶ空間を元に戻そうとしても膨大なお金と労力がかかりますし、よほどの覚悟がないとできません。例えば、少子化で廃校になった学校を子どもたちの森にしたり、自由に遊べる原っぱにしようといった動きにまでならないと子どもが本気で遊べる場所は戻ってこないでしょうから。

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